<自然にひたる>風景写真の愉しみ#13
本日もご訪問いただきありがとうございます。
風景写真を皆さんと共に人生の彩りを増すものとして取り入れ続けていきたいと持ってこのブログを書き綴っております。
ここまでは、どうして風景写真に魅せられたのか。そして今は、新緑と紅葉の写真に特化していることをお話し、まずは新緑風景写真の撮影場所をご紹介し、前回まででそこで撮った写真をいくつか見ていただきました。
今回からは紅葉撮影の話に進みます、と申し上げていましたが、その話に進む前に、本題からは少々外れますが、改めて風景写真とは何だろう、と自分自身でも感じてしまいました。そこを先に少し掘り下げてみたいと思います。
何回にもわたって風景写真についての文章を展開してきましたが、そもそも風景写真とはいったい何を指すのでしょうか。
あくまで一般的な解釈では、風景写真とは、自然や都市、建物などの人工的な構造物も含めた「風景」を撮影した写真作品のことを指す、ということではないかと思います。
風景写真に対する一般的な認識は、大きく2つに分けられるようです。
① 記録としての風景写真
旅の思い出や、美しい景色を記録するための写真です。技術的な正確さよりも、見た目の美しさや感動を重視する傾向があります。その代表例が絵ハガキということですね。
昔は旅の記念品には必ず絵ハガキがあったように思いますが、最近は何となく、絵ハガキ自体、売っているのをあまり見かけなくなったような気がしますが気のせいでしょうか。
そして風景写真の論評の中には絵ハガキ的写真、という言葉がよく出てきます。残念ながらその論評はあまり評価できない、という感じのものが多く、個人的にはちょっと残念な気持ちにいつもなるものです。
その理由は、おそらく次の視点からの捉え方、ということなのでしょう。
② 表現としての風景写真
撮影者(作者)の個性やメッセージを表現するための写真です。構図や光の使い方、編集などを通して、あくまで作品としての作者の視点を表現します。従って、どこで撮影したものかが容易にわからない写真もとても多い気がします。
個人的にはあまり興味が持てない分野ではありますが、写真雑誌等では必ずみられる写真ではないでしょうか。
そしてそこには芸術性、というものが色濃く出ているように感じます。それが絵ハガキ写真とは大きく異なる点ですね。
これらのどちらの認識も正しいもののはずです。どちらか一方だけが風景写真というわけではなく、また、どちらの方が優れているということでもないはずです。
そうなると結局は撮影者自身のスタンスによるということでしょう。
風景写真をどのように捉えているかは、人それぞれであって、こうあらねばならぬ、というものではない、ということですね。
● 自然の美しさを伝えたい
● 自分の視点を表現したい
● 記録として残したい
など、カメラを持ち出し、そしてそのカメラに写し込む被写体を探し出し、そしてカメラを向ける。
そもそも人が写真を撮影する理由は様々です。家族の写真を記録に残したい、という方が最も多いような気がしますが、大切なことは、やはり自分がどのような写真を撮りたいのか、どのようなメッセージを伝えたいのか、そこに真摯に向き合い、そして自分の世界をしっかり持ち、表現を続けることでしょう。
私の場合は、完全に自然を相手に絞っているわけです。
もちろん観光旅行に行けば、人工物、建造物にカメラを向けます。
典型的な絵ハガキ写真ということでしょう。でもやはり記録に残しておくことで、その旅の思い出は確実に深くなります。
また、元日の朝はよく快晴に恵まれるので、自宅マンションの上層階段に登ってこんな写真も撮ります。
芸術性のかけらも感じられませんが、自分にとっては一つの区切りになっている気がします。
大きなくくりで考えれば、これらはみな風景写真と言えるでしょう。
あなたにとっての風景写真とは何ですか。
私の場合は、あくまで家族の写真、家族との旅行での写真、ペットの写真はすべて風景写真のジャンルには入っていません。
あくまで人の手の及ばない世界での写真を楽しみたい、と思っています。
(了)