風景写真の愉しみ#8

ここまでは、機材のお話をさせていただきましたが、今回から風景写真のお話に移ります。

中学生の時に初めて一眼レフを購入したものの、使う機会はあまりなかった、というお話をしました。

それが変わったのは、1990年代の半ば、そうとう昔の話ですが、ある映画を観たことがきっかけになっています。


それは、“Out of Africa”という映画。

このタイトルを聞いても全くわからないと思うのですが、邦題は「愛と哀しみの果て」です。

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1985年の映画ですが、ここで写し出されたアフリカの情景に一瞬で虜になり、アフリカ、ケニアのサファリツアーに参加したのです。

その詳細は、こちらで記しておりますので、ぜひご覧ください。

当時は海外にいたこともあり、旅行に行く機会での写真撮影量はそれ以前に比べても相当に増えていたのですが、このアフリカ旅行から写真、カメラとの向き合い方が変わりました。

そして上位機種であるNikonF90の購入とリバーサルフィルムへの突入によって完全に風景写真にのめり込んでいくことになりました。


今見ると、当時撮った写真(リバーサルフィルムでの)は、色合いはきれいに出ているものの、手振れ写真であったり、人さまにとてもとてもお見せできるレベルとは思えず、今、ネットに上がっている皆さんの写真を見ると本当にすごいな、と思います。


こうやって振り返ってみると自分がなぜ風景写真にこれほどまでに惹かれ、そしてのめり込んでいったか。

その理由は大きくとらえると2つに集約されるのです。


一つ目は、自然です。

風景写真の一つの考え方として、人工物は画面の中に一切入れない、というものがあります。

本当に山奥に行けば別ですが、ここはすごくいいな、と感じる場所であっても、日本国内では、特に広角レンズを使う場合には、人工物が画面の中に入ってしまうことを避けるのはなかなか大変です。

それこそデジカメの世界になってレタッチという形で、その人工物を排除してしまえば、写った画面内では本当に自然だけ、という感じにはできるわけですが、私からすればそれは少々残念です。

特に都会で暮らしている方にとっては、普段の生活は人工物の中にずっといるわけです。

その息苦しさを感じる方であればなおさらです。

いかに人工物から離れ、自然の中に身を浸せることが有難いことか。

有名観光地もそれはそれで、非日常を感じる上では意義はあるとは思います。ですが、地球のありのままを感じることができ、できるだけ人工物を排除した空間。そこで感じられるもの、そして心身がリフレッシュできる、という目には見えないあの感覚。

もちろん、山の中に行っても、山小屋でお世話になるわけなので、人工物ゼロ、という究極の世界は、通常の日本における生活ではありえません。私もそこまでの体験をしたことがあるわけではありません。

アフリカのサハラ砂漠に行ったことがあります。

ラクダに乗って、砂漠の中に入っていくと、本当に何もありません。でもその手前には、設備の十分に整った、水も全く問題なく使えるホテルがあり、そこで寝泊まりしました。

そういう意味では、日本国内であっても周りに誰もいない細い道の登山道を一人歩いている時の方が、大自然の真っ只中にいる、という感じを味わえるかもしれません。

いずれにせよ、私自身が大事にしているのは、大自然に浸る、ということよりも、もしかすると非日常ということにあるのかもしれません。そこで心身がリフレッシュされる。その過程の中で、風景写真というものが大事な大事な要素になっているのかもしれません。


そしてもう一つは、似た観点かもしれませんが、ファインダーをのぞいた時に味わうものです。

味わうという表現は適切ではないかもしれません。ファインダーをのぞく時だけというわけではないのですが、カメラを用いて、目の前の大自然に向き合う時に、味わうあの感覚。


何かというと、日常的に瞑想に取り組んでいるのですが、何年瞑想に取り組んでも雑念だらけの初心者レベルから脱せないのに、

何とファインダーをのぞいた時から、本当に無の境地に浸っている、ということをいつも後から気づくのです。

実際は、構図はこれでよいか、絞り値はこれでよいか、と色々考えているので、無の境地、という表現は適切ではありません。

しかし自分の中では、無の境地なのです。


もう少し分解してご説明しないといけませんね。どうして無の境地と感じるかというと、風景写真を撮りたくてファインダーをのぞく時は、ほかのことを本当に一切考えなくなるのです。

家族旅行でファインダーをのぞく時にはそのような状況になったことはありません。

目の前の素晴らしい光景を見ながらファインダーをのぞく時には、本当にその景色をどのように写し取るか、そのことだけに私の場合は集中できるのです。瞑想をしようとするときに湧き起こる雑念だらけの心のありさまとは全く違うのです。

そしてその他のことを一切考えずに集中した後の爽快感。もちろんいい写真になったのかな、という思いはいつも出ます。

でもうまく表現できませんが、なんとも言えないすっきり感があるのです。



この大きな二つの要因が、私を風景写真に引き寄せる力の源になっているのでしょう。

もちろん、あとで撮った写真を見た時に、ああ~、こんな写真では、全然現場で味わった興奮とは程遠い、というがっかり感を味わい、またあそこに写真を撮りにいかなければ、という思いに駆られる、ということももちろん毎回です。

現実的にはそれが風景写真を続けている理由かもしれませんが。

あなたはなぜ風景写真をお撮りになっているのですか。ぜひお聞かせください。


本日もお読みいただき、ありがとうございました。

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