禅とは何か。
まだこのテーマについて私に語る資格はないかもしれません。
座禅、瞑想、写経いずれも取り組んだことはあるものの、初級者レベルにすら達しない初心者の状態だからです。
毎朝、瞑想と言えるかどうかわからないものの、座って深呼吸を繰り返すようになって数年。何かが変わっているようにも思いますが、とても人様に対してこれは素晴らしいということを伝えられるようにはなっていません。毎朝深呼吸をしていても邪念、雑念がどんどん湧いてきて、呼吸に意識を集中するということにすらとても苦労しています。座禅教室にも数回足を運んだことはあります。鎌倉・円覚寺。高輪・高野山東京別院。どちらも大変有名なところで、多くの人が訪れるところですが、やはり座禅、瞑想といったものは速習ができるものではないと思っています。
一方で、私の場合は、山に行き、そして素晴らしい光景に出会ってそこに三脚を据え、カメラをセットしてファインダーをのぞくと、もうそこは別世界に突入なのです。
雑念がそこで湧いてくる、という経験は皆無と言ってよいでしょう。
なぜなら、それは私なりの解析ですが、構図はどうしよう、絞りはどの程度にしておきべきか、露出補正はどうだろう、PLフィルターの利かせ方はどれくらいが良いだろう、ということに完全に没入し、それ以外のことは全く考えなくなる時間が生まれるからです。
とてもそこには日頃の心配事や雑念が入り込んでくる余地がないのです。没頭しているという表現でもよいでしょう。
実はそのことによって瞑想している状態を同じ心身の状態が生まれているのではないかと思っています。
無の境地とよく言われます。禅の世界をわかったわけではないので、本当の無の境地が何かは、とても理解が及びませんが、中途半端な瞑想を行うよりも私の場合はよほど心身のリラックスがそのあと訪れることは間違いありません。
有酸素運動をしてその場所に行っていることも相まって心身の余分な力が抜け、まず体がリラックスする状態になり、その上で心の方もリラックスできる状態になる準備が整っているのでしょう。そこでファインダーをのぞくという一つの儀式によって、何らかのスイッチが私の中に入るようなのです。
このような話は今まだ他の方にはしたことがありません。もしこの記事を読まれてその感覚わかる、という方がいらしたらぜひご連絡いただきたいと思います。一緒に語り、その道を究めることができればとても幸いです。